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「50代、終わりの始まりではなく、最高の再構成(RELIFE)を。」 バツイチ、子なし、明るい天涯孤独。 デザインの力で、自分を誇れる『凛とした人生』を、一緒に描いていきませんか。
「50代になったから。もう女として、終わりなのかな……」 「一人で生きていくって、こんなに心細いものだったの?」
ふとした瞬間に、そんな、言葉にならない「天井」を頭の上に感じて、息が詰まりそうになることはありませんか。 鏡の中に映る自分を見て、ため息をついたり。 周りの幸せそうな家族を見て、胸の奥が少しだけ、チリッとしたり。
もし、今あなたがそんな場所にいるのなら、私はそっと手を添えて、こう伝えたいのです。 「大丈夫ですよ。50代は、人生の『終わりの始まり』なんかじゃありません。これまでの重い荷物をそっと下ろして、本当の意味で自分を取り戻す『最高の再構成(RELIFE)』の季節なんですから」
私は今、デザイン業界で18年、自分の会社を経営しながら、50代の女性たちが物心両面で自立し、一生「凛(りん)」としていられるための伴走をしています。 けれど、最初からこんなふうに前を向けていたわけではありません。 私の歩みは、大切なものを一つひとつ手放し、真っ暗な闇の中で「私は誰のために生きているの?」と問い続けた、涙と葛藤の連続だったのです。
私の記憶の原風景は、畑が点在する、のどかな住宅街にあります。 一人っ子だった私は、両親の愛情をこれでもかというほど受けて育ちました。 家の中にはいつも、犬や猫、小鳥たちがいて、優しい命のぬくもりが溢れていました。
厳格だけれど、私のことを誰よりも溺愛してくれた父。 そして、仕事を持ちながらも、しつけや行儀には厳しく、けれど毎日、季節の移ろいを感じさせる心のこもった食事を用意してくれた、凛とした母。 私は、塗り絵やお人形で遊ぶのが大好きな、少し内気で穏やかな少女でした。
小学校の頃は習い事三昧。そして中高は、お作法に厳しい女子校。 守られた温室の中で、私は「いい子」として育ちました。 誰かの期待に応えること。誰かを喜ばせること。 それが自分の幸せなのだと、疑いもしなかったのです。 けれど、その美しいガラスの温室は、ある冬の日、予期せぬ形で粉々に砕け散ることになります。
最初の大きな転機は、18歳。大学受験を控えた、多感な時期でした。 大好きだった父が、病でこの世を去ったのです。 「お父さんが、もういない」 家の中から、あんなに大きかった父の笑い声が消え、静まり返ったリビング。 泣き崩れる母の背中を見たとき、私のなかに、ある冷たく鋭い決意が宿りました。
「私が、この家を守らなきゃ。私が、母を支えなきゃ」 その瞬間から、私は甘えることを自分に禁じました。 「一人でも生きていける自分にならなければならない」という強迫観念のような自立心。 それが、私の人生を突き動かすエネルギーであり、同時に、私を苦しめる厚い「鎧(よろい)」にもなりました。
短大を卒業して会社員になり、周囲が遊んでいる間も、私はどこか冷めた目で「将来、自分一人で食べていくための武器」を探していました。 父を失ったあの日の恐怖が、ずっと私の背中を追いかけていたのかもしれません。
29歳で、私は結婚しました。 相手は、自分とは全く違うタイプで、一緒にいて楽しい人。 初めて実家を出て始まった暮らしは、どこか夢見心地で、穏やかなものでした。 家事をして、時折、モデル(手タレ)の仕事をしたり。 世間から見れば、それはまさに「標準的な幸せ」の形だったはずです。
けれど。 朝、洗濯物を干しながら、ふとした瞬間に襲ってくる、得体の知れない違和感。 「私の人生、このまま終わっていくのかな」 「私は、誰の奥さんでもなく、『私』として何かを残せているのかな」
忙しくキャリアを積んでいく友人たち。それに対して、名前のない家事に明け暮れる日々。 幸せなはずなのに、心はどんどん痩せ細っていきました。 35歳の時、私は夫に別れを切り出しました。 彼は困惑し、私を引き止めてくれました。 けれど、私は「惰性で自分を誤魔化し続けること」ができなかったのです。
彼を傷つける申し訳なさと、自分のわがままへの激しい罪悪感。 40歳で正式に離婚。 子どももいない。夫もいない。 そこにあったのは、40歳にして「何者でもない自分」という、あまりにも寒々しい現実だけでした。
いよいよ、自分の力で立たなければならない。 私が選んだのは、ずっと興味のあったデザインの道でした。 けれど、40歳からのリスタートは、想像を絶するものでした。 会社を辞めた直後、次の仕事の目処も立たず、通帳の残高が減っていく恐怖。 「明日、食べるものがなくなったらどうしよう」 夜、一人で布団の中で、震えながら天井を見つめる日もありました。
それでも、私は諦めたくありませんでした。 アシスタントから泥臭く始め、一歩一歩、信頼を積み上げていきました。 「センスが悪いなんて、絶対に言わせない」 「50代になっても、指名される自分でありたい」 そんな意地とプライドだけで、必死にキーボードを叩き続ける日々。
その努力が実り、少しずつご紹介が増え、気づけば法人化。スタッフも抱えるようになりました。 ようやく「成功」の文字が見え始めた頃、最大の試練が私を襲いました。
最愛の母の死。 父が亡くなってから、つかず離れず、戦友のように歩んできた母。 母を亡くした喪失感は、これまでのどんな別れよりも深く、暗いものでした。 「私は何のために、こんなに必死に働いてきたんだろう」 空っぽになった実家のリビングに座り、私は人生の意味を見失いました。
けれど、母が遺してくれた遺品を整理している時、ふと気づいたのです。 母が大切にしていたのは、高級な家具でも、着物でもなく、私との時間であり、私という存在そのものだった。 「母が愛してくれたこの私を、私自身が一番愛してあげなくてどうするの?」
バラバラになっていた過去のピースが、デザインの図面のように、カチリと音を立てて繋がりました。 私の痛み、孤独、挫折。そのすべては、同じように迷う女性たちの光になるためにあったのだ、と。
現在、私は50代。 バツイチ、子なし、両親を見送った「明るい天涯孤独」です。 正直にお話しすれば、今でも、体の不調に戸惑ったり、鏡の中の老いにため息をついたりすることもあります。 下請け業務のストレスに、ふと孤独を感じて涙がこぼれる夜もあります。
だからこそ、私は「人生の再構成(RELIFE)」が必要だと確信しているのです。 それは、誰かに依存するのではなく、自分の足で凛と立つこと。
お金のこと、心の整え方、美しくあること、人との心地よい繋がり、そして自分を表現する仕事。 この5つの柱を、自分の感性でデザインし直す。 私は、キラキラした雲の上の成功者としてではなく、あなたと同じ痛みを抱えながら、ほんの「半歩先」を歩く伴走者でありたいと思っています。
私の夢は、おひとり様でも安心して、あたたかく暮らせる場所を作ること。 そこには、独りぼっちの動物たちもいて、助け合って「一人だけど一人じゃない」ぬくもりがある……。
人生の後半戦、あなたのグラスを幸せでいっぱいに満たして、あふれた分を大切な誰かに分け合える。 そんな、しなやかで豊かな時間を、一緒にデザインしていきませんか? これからは、自分のために、美しく咲いていいのです。
「人生は、いつからでもデザインし直せる。50代からの自分を、もっとも愛せるあなたへ。」